「知られざる戦国武将吉川元長」
2024年12月7日 ~ 2025年4月13日
吉川元長は中国全土を治めた毛利元就の次男・元春の嫡男として天文17年(1548)、この世に生を享けました。元就から靏壽丸と命名され、元服時には毛利隆元から偏諱を受けた元長(当時は元資)は、父を含め毛利家からも将来を嘱望された人物だったと言えます。
永禄8年(1565)に富田城の戦いにて初陣を飾った元長は、父・元春のもとで尼子再興軍、そして織田信長との戦いを経て、天正10(1582)頃家督を継ぐと今度は豊臣秀吉のもと、四国平定、九州平定に吉川家当主として身を投じます。息つく間もない戦いの最中、元長は禅僧・周伯慧雍との交流の中で多くの書物を収集し、和歌を詠み、時には冗談を言うような現代の私達にも共感できる豊かな人間性を垣間見せます。
天正15年(1587)6月、九州平定のさなか病に倒れた元長は、遺言にて弟である広家(当時は経言)を次の吉川家当主に指名し、日向国都於(とのこ)郡(おり)(現在の宮崎県)の陣中にて亡くなりました。
40歳という短い生涯ながらも激動の時代に毛利家を支えた元長の生涯を、足跡・親交・教養に焦点を当ててご紹介いたします。
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