「吉川家と錦帯橋」展

2023/9/30~2023/12/24「吉川家と錦帯橋」展 2023/10/26~2023/11/26「太刀 銘為次(狐ヶ崎)」の展示
今年は岩国三代藩主吉川広嘉公が錦帯橋を創建して350年の節目にあたります。
江戸時代、錦帯橋は、藩の政治の中心(藩庁)と城下町を結ぶ重要な橋でした。
吉川家が岩国を治めることのなったのは、慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦後のことです。当主であった吉川広家は、出雲から岩国へ入封されましたが、まだ世上不安定の時代であったため、広家は防備を重視して、錦川下流域である横山の地に館(やかた)と要害(城郭)を置きました。館周辺に重臣らの居住地を決めますが、土地が狭いため、城下町は錦川の対岸につくりました。そこで横山地区と城下町を結ぶ橋がつくられました。当時の架橋の記録では、大雨などによる増水の為に橋が流出したとあり、流されない橋の架橋が課題となったのです。
延宝元年(1673年)、三代藩主広吉の代に、現在の様な五連のアーチ型の木橋が完成しました。この橋は、広嘉公が、中国の医師、独立性易が持参した地誌「西湖遊覧志」の挿絵を見て着想を得たと言われています。
それが、大工の児玉九郎右衛門や石工の戸川利右衛門らをはじめとする技術者たちの力により、ついに形となったのです。以後、この橋は時に補修されつつ276年もの間流されることがありませんでした。
本展示では、藩庁を横山に決定した広嘉公の祖父広家公を中心に錦帯橋創建に至った経緯を館蔵史料で紹介します。
また、恒例となっております国宝の「太刀 銘為次(狐ヶ崎)」の展示は、10月26日(木)から11月26日(日)の期間に行います。同時期に「狐ヶ崎の太刀」写し(刀匠三上貞直氏作)も展示いたします。